森むすひへ、ようこそ。

パーソナルコーチ 中西実和がお届けする
「人と組織のいのちを育む」コーチング、
『森むすひ』。

なぜ、「森」と「コーチング」なのか?
「むすひ」とは、何なのか?

わたし自身の体験を通して、お伝えできればと思います。

都会の中の小さな自然を慈しんだ子供時代。

今でこそ、生活の半分を森の中で過ごしているわたしですが、幼い頃から自然の中で暮らしていたかというと、そうではありませんでした。

都会で生まれ、都会で育った子供時代。

だけど、道端の草花でを摘んだり、
土の上を這うダンゴムシを飽きずに見つめたり
木に登ってビワや木苺を食べたりと
いつも、都会の中の小さな自然で遊んでいました。

今思えばそれが、森へとつながる最初の一歩だったのかもしれません。

揺れ動く人の心に興味を持った思春期。

コーチングと出逢ったのは、もちろん大人になってからですが、
小学校の頃から優等生の学級委員体質だったわたしは
何かと相談を受けているような子供でした。

恋の相談、友人とのいざこざ、グループ同士の対立。

中学・高校に上がっても、相談を持ちかけてくる人は後を絶ちませんでした。

ケンカしていたかと思ったらコロッと仲良くなったり、好きな男の子のことで泣き崩れたり……

「なんで、こんな風に思うのかな?」
「どうやったら、そうなれるんだろう?」

子供なりに、
悩み生きる人間の存在が面白く、愛おしく

「探求したい!」

という気持ちにつながっていきました。

人生を変えた、
天安門事件との遭遇

子供の頃からシルクロードに憧れていた私は、
中国の文化を体感するため、北京大学に留学しました。

その頃、日本はバブル全盛期。
誰もが豊かさを手に入れられる一方で、
人間らしさ・日本人らしさが
忘れられようとしている時代。

同じ頃、社会主義国であった中国は
日本よりもずっと、パワーに溢れていました。
あたたかい心を持った、愛すべき人々との出逢いがたくさんありました。

そして、
忘れもしない1989年6月。

誕生日を祝ってくれるという中国人の友人に会うために北京市を訪れた、ちょうと翌日。

天安門事件が起きたのです。

民主化を求める学生達を中心とした市民のデモ隊が天安門広場広場に結集、それに対し、中国人民解放軍が武力制圧を開始。

のちに犠牲者数は数百人から数千人と言われるこの事件の最中、
わたしは、北京市に滞在していたのです。

戒厳令が出される中、
窓の外は戦車と軍隊で溢れ、
テレビには何も映らない。

インターネットなんてない時代。
情報がまったく手に入らず、

「このまま、日本に帰れないかもしれない……」

不安を感じながらも、
どこか冷静な自分がいました。

それでも、中国人の友人は
なんとかタクシーを手配してくれ
騒乱の最中、わたしは命からがら大学に戻り、
空港への最後のバスに乗ることができたのです。

「ここに残りたい……」

それが、正直な気持ちでした。

純粋な気持ちで国を想う北京大学の学生達。
家族のようにあたたかく接してくれた人々。
そんな人々が今、軍に弾圧されているという堪え難い想い。
何もできずに帰らなければならない、
というくやしさ。
後ろ髪を引かれるような想いで
飛行機に乗りました。

中国でのあまりにも強烈な体験と、
平和すぎる日本とのギャップ。

変わらずに存在する、
社会主義国中国への偏見。
人間と人間の、体温のある交流ではなく
国と国の利害関係。

なぜ人は、
国や、言語や、肩書きを超えて
分かり合えないのか?

子供の頃からずっと心のどこかにあった想いが
この体験をきっかけに、溢れ出しました。

それも、まわりの同世代には理解されない。
いつしかわたしは、
感じる心を閉ざしてしまいました。

息子が教えてくれた、
生きるチカラ。

この事件をきっかけに、社会のインフラの重要さを痛感したわたしはインターネットや通信の可能性を感じ、大手通信会社に就職。
時代や経営の流れがデジタル化していることに希望を見出して、システム開発に携わりました。

6年間東京で勤めた後、結婚を機に岡山支社へ。

子供が授かったことを喜んだのもつかの間、
切迫早産で入院することになりました。

なんとか無事に産まれてきてくれたものの、
アレルギーや喘息で入退院を繰り返す息子に

「この子は、
無事に育ってくれるのだろうか……」

と不安に感じる日々が続きました。

ある時、
股関節が溶けてしまうという病気が判明。
原因不明のまま、

「元に戻るかどうかわからない」

と告げる医者の声。

ショックでした。

しかし、そんなわたしの不安を吹き飛ばすほど
補助器具を付けて歩く練習をする息子の姿は
生きるチカラに溢れていました。

装具を付けたまま走ったり、遊んだり、笑顔で輝いている。
自然に現状を受け入れ、ただ生きることにフォーカスしている。

「人間って、すごい!!」

どんな状態でも、
生きようとするチカラはある。

この子がどんな状態でも、
ありのままで素晴らしい。
ただ笑顔であればいい。

息子が成長していくエネルギーに触れることでわたしは、天安門事件以降閉ざしていた、生きるチカラ、感じるチカラを取り戻すことができたのです。

この体験が、のちに出逢うコーチングのルーツになりました。

会社組織の中で痛感した、
コミニケーションの難しさ。

再び営業として東京本社へ戻ったのは、
35歳の時。

そこで、大きな壁にぶつかりました。

時代は数年のうちにめざましく進化しているのに会社のシステムは、自分がいた頃とまったく変わっていない……。

「この業界は、これでいいのか?」

システム開発の質は、人間関係の質と大きく影響している。
なのに、営業と開発、そして顧客とのコミニケーションがまったく取れていない。

そんな状況をなんとかしたい!!!

痛いほどに体感したのは、若い社員たちが育たない環境でした。

何かを目指して一緒に動いても、チームとして機能しない。
会社への憤りとやるせなさの中で、辞めてしまう若者たち。

「一体、どうしたらいいんだろう?」

模索する日々が続きました。

失意の中で、コーアクティブコーチングと再会。

それでもがむしゃらに働き続けて、ちょうど40歳になった頃のこと。

ふと、我に返った瞬間がありました。

「わたしは今、本当に自分がやりたいことをできているだろうか?」

そんなある時、会社を辞めた部下に街でばったり再会したのです。

彼女は言いました。

「中西さんにぴったりのセミナーがあるんですよ!」

それが、コーアクティブコーチングとの出逢いでした。

「答えは自分の中にある」
「ひとは、誰もが完全な存在である」
「ひとは誰でも、可能性を持ったリソースフルな存在である」

子供の頃からずっと、心の底からそうだと感じていたのに誰も言わない、
教えてくれなかったこと。

「やっぱりそうだったんだ!!
それでいいんだ!!」

自分が求めていたことが、ここにある。
そう確信した私は、会社に勤めながら夢中でコースに通い、さらに、リーダーシップについても学びました。

自分が変わると、
目の前の現実も変わる。

自分自身がコーチングによって変化すると、
会社にもその変化が現れ始めました。

まず、日々の会議が劇的に変化。

相手のニーズをしっかり聞き出しながら
同時に自分の想いも伝える。

そうすると、
まず「自分は大切にされている」と感じた相手はたとえ最初に設定していた目標に到達しなくても、満足してくれる。
信頼関係ができ、
また話をしに来てくれるのです。

有意義な会議ができるようになると、
会社内での人間関係も
円滑につながり始めました。

いろんな部署に足を運び、人の話を聞くようになったのもその頃です。

「何を目標にしているのか?」
「どんな情熱を持って、やっているのか?」

さまざまな人の想いを聞いているうちに、

「中西さんと一緒にやりたい」

とプロジェクトチームへのお声がかかったり
風土改革など、決められた業務以外のところでのつながりが増えていきました。

涙が溢れた、
最初の森との出逢い。

2007年にコーチングを学び始めて2年ほど経ち、
コースの中で、ビジュアリゼーションをやる機会がありました。

そこで見たのが、森。

天地に向かって命をいっぱいに育む樹々。
そこから差し込む光。
どこからか聴こえる、美しいピアノの音色……。

都会っ子で自然などまったく知らずに育ち、
ガチガチの会社員だったわたしの目の前に、突然現れた森のビジョン。
意味もわからないまま、ただただ涙がポロポロとこぼれ落ちました。

そこから、不思議なご縁が繋がり、森と都会をつなぐ人々との出逢いがありました。

「会社を変えたい」
「組織って、こうであったらいいよね」

そんな話を伝えると、彼らはこう言いました。

「それって、森みたいだね」

森のように、命を育む組織……。
わたしの中で、何かが花開き始めた瞬間でした。

思えば、わたし自身が朝から晩まで高層ビルの中で太陽も見ずに働いて、生きていることの実感、自然の肌触りを失っていたのです。

自分が何を感じているのか?
自分は何者なのか?
わからなくなっていた。

森は、忘れていた「命の手触り」を思い出させてくれました。

「自然は、そしてその一部である人間は、こんなに美しいんだ!」

気づいた瞬間に涙がこぼれ、わたしは森に宣言していました。

「わたしのすべてを、森に明け渡します」

涙が溢れた、
最初の森との出逢い。

コーチングを学び始めて2年ほど経った、
2007年。
コースの中で、ビジュアリゼーションをやる機会がありました。

そこで見たのが、森。

天地に向かって命をいっぱいに育む樹々。
そこから差し込む光。
どこからか聴こえる、美しいピアノの音色……。

都会っ子で自然などまったく知らずに育ち、
ガチガチの会社員だった私の目の前に、突然現れた森のビジョン。
意味もわからないまま、ただただ涙がポロポロとこぼれ落ちました。

そこから、不思議なご縁に導かれて、
森と都会をつなぐ人々との出逢いがありました。

「会社を変えたい」
「組織って、こうであったらいいよね」

そんな話を伝えると、彼らはこう言いました。

「それって、森みたいだね」

森のように、命を育む組織……。
わたしの中で、何かが花開き始めた瞬間でした。

思えば、わたし自身が朝から晩まで高層ビルの中で太陽も見ずに働いて、生きていることの実感、自然の肌触りを失っていたのです。

森は、忘れていた「命の手触り」を思い出させてくれました。

「自然は、そしてその一部である人間は、
こんなに美しいんだ!」

気づいた瞬間に涙がこぼれ、わたしは森に宣言していました。

「自分のすべてを、森に明け渡します」

コーチとして独立。
さらに深く森へ。

森で組織を育むプロジェクトにも携わり始めた頃、東日本震災が起こり、日本や世界を大きく揺るがしました。
会社も、震災をきっかけに変革の時を迎えており、全身全霊で会社内でのコーチングにも取り組みました。

そして2013年。
「できることは、全部やった」
という実感と共に、退社を決意。

コーチとして独立すると同時に、
プロジェクトチームとしても、個人としても、
さらに深く森と関わるようになりました。

森は、すべてを見せてくれる。
入るたびに、別人のような姿で迎えてくれる。
時間ごと、季節ごと、一瞬一瞬表情が違う。
草木や花、動物たちの息遣い。
想像もつかないような豊かさが、そこにある。

そこに身をゆだねていれば、必要なことが起こる。
世界とわたしとの境界線が、なくなっていく。

「すべては、ひとつなんだ」

その感覚を一度取り戻せば、
都会の中でも、心に森が育まれているから
本来の姿で、生きていける。

「実和さんのコーチングは、森みたい」
と言われるのは、そこがベースにあるからかもしれません。

森とむすひ、
コーチングとの関係。

森に入ると同時にコーアクティブコーチングとの関係も深まっていきました。

セッションをすると、お互いのエネルギーとエネルギーが循環して、クライアントさんはもちろん、わたし自身が元気になるのです。

自分の深い部分と向き合い、今までは行けなかったところに一歩踏み出していく、
その瞬間に生まれる力の凄まじさに、どんどん魅了されていきました。

そんなある時、お正月のしめ縄を見て、気づいたのです。

コーチングで起きていることは、「むすひ」なんだ。
自分自身が、すべての可能性に満ちた存在であることに気づくことで、命のエネルギーが結び合い、循環し、実現化していく。
無数の命がつながり合って、ひとつの生命体として生きている森のように。

「森」と「むすひ」こそ、
わたしがやっていること。
これからもやり続けていきたいことなんだ、と。

あなたに、伝えたいこと。

すべては、あなたの中にあります。
呼び起こされるのを、待っています。

ポジティブを強いなくていい。
ネガティブを消さなくていい。
ありのままのあなたで、いいんです。

ただ、あなたの才能、あなたの命を、
思う存分、活かして、生きてください。

あなたらしさに気づいた瞬間に
エネルギーは目醒め、
つながり、むすひが始まります。
マインドだけではない、
現実の変化が起こり始めます。

誰もが、その力を持っている。
それを引き出すサポートをするのが、
『森むすひ』。

一歩、踏み出してください。
世界は、あなたを待っています。

『森むすひ』パーソナルコーチ 中西実和

中西実和 概略

1967年生まれ 東京都中野区在住。
1990年 中央大学法学部卒、通信系企業へ入社。
通信系基幹システムの開発にSEとして10数年携わる。
法人向けシステム営業、商品企画に従事後、人材育成。
研修講師として、新人育成、営業育成に携わる。
2010年、CTI(The Coaches Training Institute)発行の資格
CPCC(Certified Professional Co-Active Coach)を取得。
2011年、CTIジャパン認定契約アソシエーツとして、
「コーアクティブ会話術」の提供を開始。
2013年独立、2014年3月株式会社Heart to Earth設立。
「コーアクティブコーチング」や「森のリトリート」
「ファーストピースサークル」等を通して、
人が本来持っている輝きを解き放ち、幸せの波紋が広がることを願って活動している。